ご挨拶

 2期目の時に長男を出産しましたが、狛江市議会で女性議員が出産したのは初めてだと聞きました。生後2ヶ月半で息子を認可外保育室に預け、仕事に復帰しました。当時は矢野市政でしたが、議会が夜遅くまで続く事がよくあり、夜の休憩中に自転車を飛ばして自宅に戻り、息子をお風呂に入れて議会に戻る時もありました。私の母のサポートのおかげで乗り切る事ができました。母が近くにいる恵まれた環境でしたので、サポートする人が近くにいない人の大変さを思い、子育て支援を進めたいと思っています。

略歴

西村あつ子

1966年東京都生まれ。
こだま幼稚園、旧四小、旧八小、三中、都立高校卒業後、電気会社、デザイン会社に勤務。
1999年から狛江市議(5期)。
現在、議会運営委員、社会常任委員、多摩川衛生組合議会議員。
市議会副議長、保育園父母の会役員歴任。

いまも思い出す父の言葉

 世田谷で生まれ、2歳のとき両親と二人の兄の家族五人で、祖父が住む狛江市に転居しました。こだま幼稚園、旧四小・旧八小、三中に通いました。映画やテレビの編集技師だった父親のことが大好きな“お父さん子”。他界した父親は、忙しい仕事の合間にPTAや地域活動でがんばっていました。父親から「人はみんな平等、戦争は絶対にしてはいけない」と教わりました。その言葉が私の原点です。

↑二人の兄、父と一緒に

自ら特訓志願、苦手を克服

 中学・高校と軟式テニス部に所属。活発な方でしたが、水泳は苦手でした。小学校のクラスメートから泳げないことをからかわれて奮起。自分から夏休みのプール係に志願し夏休みに毎日のようにプールに通い、とうとう泳げるようになりました。高校時代はアルバイトで貯めたお金で自動車教習所に一生懸命通いました。

共産党は弱い人たちの味方

 高校卒業後、電気関係の会社に就職。「お茶くみ、お使いは女子社員の仕事」という社内の風潮に疑問を感じた西村さんは、上司に申し入れて改善させました。知人の紹介で上田耕一郎共産党参院議員(当時)の選挙を手伝い「共産党は弱い人たちの味方なんだ」と実感し、共産党に入党しました。

↑92年参院選で上田さん(写真中央)と。左隣が私です

忘れない「ありがとう」の笑顔
安心して暮らせるまちへ

 99年から5期20年、地域の方々の身近な相談相手として、がんばってきました。1期目、最初の生活相談で身寄りのないおばあちゃんと一緒に住む部屋を必死に探しまわって解決。「ありがとう」といって安心した笑顔を見せてくれたことが今も忘れられません。市議会副議長も務め、議会運営の責任も担いました。誰もが安心して暮らせる市政をめざし引き続きがんばります。



西村あつ子さんを推薦します

子育て中のお母さん方の声を、熱心に議会へ届けた西村議員
 西村議員は、子育て世代の声を熱心に市政に届け、私の在職中も、乳幼児医療費の無料化など「子育て一番のまち」づくりをしっかり支えてくれました。昨年はセクハラや予算の私物化問題で高橋市長と渡り合い、市民や職員とともに退陣させる力となりました。狛江にとってなくてはならない政治家です。

矢野ゆたか
(元狛江市長)

 私が西村さんと初めてお会いしたのは保育園帰りに娘と歩いていた時でした。3歳までの認証保育園だったので、その後どうするかな・・と不安だった時、西村さんが路上で待機児童問題を語っていたので、その場で詳しく教えてもらいました。人生で議員と会話した初の瞬間でしたが、制度のプロである議員に聞けばこんなに教えてもらえるんだ!と感動しました。その後、政治には興味が無かった私ですが、戦争や改憲に突き進む安倍政権からこどもを守るために出来ることをしよう!と立ち上がった時に西村さんと再び出会い、闘う時はいつも一緒でした。こどもたちが自分で考え、意見を言える社会を作るために西村さんには議員として一緒に闘い続けて欲しいと思っています。

中野さやか
(和泉本町1丁目)

大元 賢二(中和泉・公務店主)
金子 嘉一(中和泉・画家)
絹山達也(豊かな狛江をつくる市民の会事務局長)
周東三和子(中和泉・新日本婦人の会狛江支部長)
鈴木 暁(中和泉・日大商学部元非常勤講師)
田島 栄(中和泉・劇作家)
牧 伸人 (中和泉・元市民参加と協働に関する審議会委員)